Spotlight of 研修生
今回お話を伺ったのは、柴田 知樹(しばた・ともき)さん
立命館アジア太平洋大学(APU)2年/ユースキャリア教育機構(Project SPICA)所属
「熱狂し続けられる社会を創る」をテーマに、サッカー選手のキャリア支援事業を構想中。その他、APU専門塾の立ち上げ、サッカー英会話スクール代表、国際コミュニティ・サッカー大会の運営にも携わる。
「Spotlight of 研修生」は、ユースキャリア教育機構に所属する研修生を、ひとりずつ深掘りするシリーズ企画です。ユースキャリアにいる様々な研修生のリアルを、一人ずつ図鑑のように紹介していきます。
記念すべき第1回は、入会わずか1ヶ月半で来場者150名・協賛13社を集める大型サッカーイベントを立ち上げた、Project SPICA所属の柴田知樹さん。
15年間サッカーに人生を捧げ、引退後に「生きる意味すら見失った」一人の青年が、なぜ入会1ヶ月半で150名規模のイベントを立ち上げるまでに変われたのか。その答えがこの記事には詰まっています。
- どん底からの「転換点」の作り方がわかる
- 自分を変える「環境選び」の本質が理解できる
- 将来への不安を、行動エネルギーに変えるヒントが手に入る
- 「自分にもまだやれる」と、明日からの一歩を踏み出す勇気がもらえる
打ち込んできたものを失った人、目の前のことに全力を注げない人、本気で挑戦する環境を探している人。きっと、何かしらの答えが見つかるはずです。
サッカー大好き人間が、生きる意味を見失った
━━これまでどんな人生を送ってきましたか?
小さい頃からサッカーが大好きで、15年間サッカー一筋で打ち込んできました。高校時代には二度の全国出場、全国ベスト4を経験するなど、競技に人生を捧げてきたと言っても過言ではありません。
ただ、続けていく中で「プロになれなかったらどう生きていくのか」「仮になれたとしても、その後のキャリアはどうしよう」という将来への漠然とした不安が、少しずつ競技への情熱を蝕んでいきました。そして最終的には、バーンアウトという形でサッカーから離れることになったんです。
大好きだったはずのサッカーを失った後は、熱中できるものが何ひとつ見つからず、生きる意味すら見失う日々を過ごしました。
でも、その経験があったからこそ「何かに没頭し続けられる環境こそが、本当の幸せなんだ」と気づくことができた。これが、今の活動の原点になっています。
━━サッカーを引退され、大学入学後はどのように過ごされていますか?
APUに入学してからは、10カ国以上のメンバーが集う60人規模の学生団体を立ち上げました。さらにユースキャリア教育機構に入会してからは、わずか1ヶ月半で来場者150名・協賛13社を集めるサッカーイベントを立ち上げることができました。
その他にも、サッカー英会話スクールやAPU専門塾の立ち上げなど、興味を持ったことには片っ端から挑戦している日々です。
━━活動の中で、大切にしている価値観はありますか?
大切にしているのは、お金ではなく「関わるすべての人に夢と幸せを与えること」です。
現役選手がサッカーに全力を注げる環境を整え、引退後は「あの人に頼ればなんとかなる」と思ってもらえる存在になりたい。そして、選手たちがサッカーに代わる新たな熱狂を見つけるための伴走者になりたいんです。
最終的には、世界一のサッカーチームをつくること。それが、自分の将来の夢ですね。
「打ち込んできたものを失った時、人はどう立ち直るのか」 彼の言葉の中に、その答えが眠っている
最後の試合、ベンチで迎えた引退の日
━━15年間捧げたサッカーで、最後の試合のことを教えてください。
ずっと夢だった国立競技場で、チケットは完売。満員の観衆に囲まれながら、ベスト4という結果で引退することができました。みんなの憧れの舞台に立てた。本来なら嬉しいはずなんですけど、嬉しさよりも申し訳なさのほうが、本当に強くて。
実は、全国大会の直前に後輩にポジションを奪われてしまって。15年間の集大成が、ベンチからの応援になってしまったんです。

━━ 一番、誰に対して申し訳ないと思いましたか?
家族ですね。特に母親には。
母が管理栄養士の資格を取って、さらにスポーツフードマイスターの勉強までして、15年間ずっと朝昼晩の食事を毎日管理し続けてくれていたんです。アスリート用の食事を、僕一人のために。
それだけサポートしてくれたのに、最後の結果がベンチっていうのは、本当に情けなくて。地元の仲間もコーチも、応援に来てくれた家族も、先生も。いろんな人に支えてもらったのに、この結果かよって。
━━ベンチになり、試合中はどう過ごしていたんですか?
ベンチの雰囲気って、チーム全体の雰囲気にめちゃくちゃ繋がるんですよ。だから、誰よりも率先してアップから声をかけ続けてました。
ハーフタイムには、ウチの主力が怪我でベンチ交代になって、チームが結構落ち込んでたんですけど、「あいつがいない分こういうデメリットはあるけど、代わりに入ったこいつの強みでこういう後半が作れるんじゃないか」って、ひたすら答えを考え続けて鼓舞してました。

自分にやれることを徹底的に考えて。試合後はもう、喉が枯れて涙流してっていう状態でしたね。最後まで自分にできる最大限をやり切って、それでも結局、自分はピッチに立てなかった。
自分を「雑魚」と認めた瞬間
━━どん底から、今の行動力に変わった転換点はどこでしたか?
一番大きかったのは、負けたっていう事実を受け止めたことですね。
これ、「ベスト4で引退して負けた」っていう話じゃないんですよ。後輩にポジションを奪われ、プロにもなれなかった。サッカーという世界に自分の人生を捧げてきたのに、そのサッカーって世界の中で、僕は「ただの負けた人」だったんだなって。身にしみて感じました。
何者でもない、自分は雑魚なんだなって。

━━大学に入ってからも、何かありましたか?
APUに入ったら、周りはみんな英語ペラペラなんですよ。そんな中で「知樹って高校の時何やってたの?」って話になった時に、「いや、俺サッカーしかやってこなかったんだよね」って言うしかなかった。そのサッカーすら失った自分は、なんでもない人間なんだなって思った瞬間が、本当に恥ずかしくて。

みんなは、複数言語を学び、起業までしている人ばかり。それまでの自分は、サッカーがあったから劣等感を抱くこともなく、むしろ「部活を頑張っててすごいね」と言われる側でした。でも、大学に入った瞬間、周りがすごすぎて、丸裸の自分と向き合うことになったんです。
「自分は何者でもない」と認めることは、惨めさではなく、強さである。 過去の肩書きを脱ぎ捨て、丸裸の自分と向き合えた人だけが、新しい自分を描きはじめられる。
入会1ヶ月半で150名を動かした原動力
━━ユースキャリアに入会して1ヶ月半で、150名集客・13社協賛のサッカーイベントを立ち上げましたね。原動力はどこから?
「自分は何者でもない人間で、負けた」っていう経験が、まず一番大きいです。
それに加えて、ユースキャリアに入った時に先輩たちと出会って、「すごすぎる、自分も一旦実績を作らないと、ここで一番下の雑魚として扱われるんじゃないか」っていう焦りもありました。
あと、環境がでかかったですね。
━━環境というと?
大学生って聞くと、みんな遊んでるみたいなイメージがあると思うんですけど、APUのみんなは留学のために英語を勉強していて、夜遅くまで一緒に寮の自習室行くみたいな。

ユースキャリアでも同じSpecialistの仲間が自分よりも熱量高く動いていた。ちょっとサボりたいなって思った瞬間に、ユースキャリアの同期から急にGoogle Meetのリンクが飛んできてメンションされて、「うわ、やんなきゃ」みたいな(笑)。強制的にやる環境が整っていたんですよ。
だからこそ、誰と絡むか、誰と組むか、どういう人たちと時間を過ごすかがすごい大事だなって、入ってすぐ感じました。ユースキャリアの環境は、少し高校時代に似ているんですよね。スポーツ校で他の部活に所属しているクラスメイトたちと過ごしていた、あの感覚です。
高校時代は、クラスメイトが甲子園に出て活躍する姿を見て刺激をもらいましたし、普段はふざけまくっているのに国体に呼ばれていたり、逆にベンチで試合に出られないクラスメイトを励ましたり、悩みを相談し合ったりしていました。クラスメイトが結果を出すと常に焦りを感じていたあの感覚。

ユースキャリアでは、それと同じ感覚をまた味わえていて、本当に最高の環境だと感じています。当時のクラスメイトと過ごした日々のように、もう一度熱中できるものに出会えた楽しさがあるんです。
サッカー選手を目指すなら、公園で一人でボールを蹴っているだけではプロにはなれません。コーチから学び、強いチームに身を置いて結果を出すこと。それがプロへの道のりです。これは経営にも通じる話。一人で起業に挑もうとするのは、ある意味、公園で一人きりでサッカーを続けているようなもの。
成長するには、優れた指導者から学び、力のある仲間と切磋琢磨する環境に飛び込むことが大事ですね。
━━ユースキャリアに入ったことでどう変わりましたか?
今はとにかく量をこなすことができるようになりました。サッカーで鍛えた体力があるので苦にならないというのもありますが、それ以上に楽しくて自然と量をこなせている感覚です。

SPICAの代表である湯山さんが、いつもかけてくれる言葉があります。「寝るな」と。最初のうちは、寝ても寝なくても作業の質はそれほど変わらない。ベストパフォーマンスを出したところで大したことはできない。だからこそ、知樹が周りに勝つ唯一の選択肢は「量をこなすこと」だと言い聞かせてくれるんです。
実際、何時にLINEしても返ってくるので、湯山さんもおそらく寝ていません。口先だけでなく、一緒になって本気で走ってくれる環境は本当に最高です。正直、自分の気持ちに素直になれば、辛いし、寝たいし、遊びまくりたい(笑)。でもそれ以上に叶えたい夢がある。
15年間続けてきたサッカーを辞め、自分がバーンアウトしてしまった最大の理由は、将来への不安でした。
十分な実力がありながら、将来への不安からサッカーを辞めていく仲間を、何人も見てきました。仮にプロになれたとしても、その後のキャリアへの不安から、競技に本気で打ち込めない選手も少なくありません。
そして自分自身も、引退後に大きな喪失感を味わいました。サッカーしかやってこなかったからこそ、それを失った後の人生には何の刺激もなかったんです。
だからこそ、サッカーに人生を捧げてきた選手が、引退後も現役時代と変わらず何かに挑戦し続けられる環境をつくりたい。そういう受け皿があれば、崖っぷちに立たされた選手も将来への不安から解放され、もっとサッカーに没頭できるようになるはずです。

すべての選手がサッカーに熱狂できる環境をつくり、最終的には自分が世界一のサッカークラブのオーナーになる。そんなワクワクする夢に出会ってしまったら、もう毎日が楽しくて仕方ない。どんなことだってやりきれます。すべては、この夢を叶えるために。
━━常に楽しそうに過ごされてますが、なにか大事にしている考え方はありますか?
そうですね。どんなことでも楽しむ、というのが自分のやり方です。
例えば、サッカーが大好きな人は自然と練習をします。楽しいからやっているだけで、本人は努力しているつもりすらなく、ほぼ無意識にボールを蹴っている。一方で、サッカーを嫌いな人が上達のために練習するとなれば、意図的に努力しないと続きません。

無意識に努力できている状態、努力している自覚すらないまま楽しめている状態が最強だと思うんです。そのために「楽しめているか」を常に意識し、楽しもうとする姿勢を大切にしています。
辛いことだって、見方を変えれば楽しい要素はきっと見つかる。だったら、楽しくしちゃえばいいじゃないですか!
人を変えるのは、意志の強さではなく、身を置く環境である。 強制的に熱量が高まる場所に飛び込むことが、最短の成長ルートになる。そしてその環境を「楽しめている」と感じられた時、努力は努力でなくなり、最強の状態に変わる。
「DO, DO, DO」——背中で語ってくる憧れの人から盗んできたもの
━━成功してる人から盗んできた、自分の中で一番大きかった学びはなんですか?
背中で語ってくるってことですね。
僕がサッカーを辞めると決めて、総合型選抜でどこかに進学しないとって時に出会った塾長がいるんですけど、その人が今までの人生で一番の衝撃でした。
3ヶ国語を話せて、塾を経営していて、毎年早慶への合格者をたくさん輩出している。さらに中華料理店も回していて、バスケの強豪校出身。大学でも1年生から体育会系部活でスタメンで出てて、全国優勝も経験していて、筋肉ムキムキのイケメン(笑)、みたいな。

━━化け物ですね……。
そう、化け物(笑)。
でも、その塾長から1ミリも、自慢話をされたことがないんですよ。
その人が、受験の資料をバーって添削して5分寝てまた部活行って、ジム行ってってやってる生活を、僕は目の前で見てきたんです。夏の全国大会から帰り、僕も塾でひたすらやって、そのまま高校行って、部活行って、塾行って。もう家には洗濯物をしに行くだけみたいな。
そういう人たちの姿勢を見ると、口で語るとか、考えてどうこうじゃない。もうとりあえずやれっていうのが伝わってくる。年齢が近いのにここまで人として圧倒されると、一つ一つの言葉がなんでも刺さる。何をしてても本当にかっこよく見える。
「DO, DO, DO」って僕のクレドとしてずっと言ってるんですけど、それは当時の塾長の背中を見て盗んできたものですね。
人を動かすのは、言葉ではなく、背中である。 「やれ」と言われて動く人間と、誰かの背中を見て勝手に動き出す人間。後者になれた時、はじめて自分も、誰かの背中になれる。
「熱狂し続けられる社会を創りたい」
━━サッカー選手のキャリア支援事業を構想していると聞きました。どうしてサッカー選手のキャリア支援なのですか?
プロを目指していた頃、「プロになれなかったらどうしよう」「なれても首を切られたら…」という将来への恐怖が、大好きだったサッカーに没頭する日々を少しずつ奪い、最終的にバーンアウトという形で僕をサッカーから遠ざけました。
引退後、それ以上に熱中できるものには出会えず、ようやく気付いたんです。 「何かに挑戦し続けられる環境って、本当に幸せだったんだ」と。だから僕は、「熱狂し続けられる社会を創りたい」と本気で思っています。
現役選手が全力でサッカーに打ち込めない抱える最大の不安は、引退後のキャリア。セカンドキャリアが充実する環境さえあれば、選手たちはもっとサッカーに没頭できる。

引退後は「あの人に頼ればなんとかなる」と思ってもらえる存在になり、新たな熱狂を見つける伴走者になる。誰よりも悩み、闘ってきた自分にしか作れない事業があると確信しています。
柴田知樹さんからのメッセージ
15年間捧げたものが崩れたとき、自分は何者でもない雑魚なんだって、本気で思いました。
でも、ユースキャリアで本気で動ける仲間に出会い、入会1ヶ月半で150名を集めるイベントを立ち上げることができた。あのとき変われたのは、自分が特別だったからじゃない。変われる環境に身を置けたからです。
どんなに苦しくても、結局は人に救ってもらってきました。現役時代は、仲間に支えられたからこそ、引退まで続けられた。だからこそ今度は、自分が誰かを支える側になりたいと思っています。

今はとにかく、人とのつながりを大切にしたい。それが最終的に複利的に将来へと返ってくると信じているからです。目先のキャッシュにこだわるより、素晴らしいビジョンを持った人たちが集まるコミュニティで揉まれること。環境こそが、何よりも自分を成長させてくれると感じています。
今の自分に納得できていない人へ。 僕が日頃から大切にしているのは、ユースキャリア教育機構代表の宇野さんに何度も叩き込んでもらった言葉です。
「12歳の自分と向き合い、アポを取り続けろ」
12歳の頃の自分は、将来の夢に溢れ、キラキラしていたはず。その自分から見て、今の自分は胸を張れるか。がっかりされないか。 その視点を持つだけで、日々の行動一つひとつが変わっていきます。
もし今、何かに迷っているなら、ぜひ環境にこだわってみてください。 最初の一歩を、踏み出してみてほしいです。
・自分自身も何かに没頭したい人
・何かに挑戦し続けたい人
・同じ未来やビジョンを描いている人
少しでも迷っている方は、ぜひ一度話を聞かせてください。 一緒にユースキャリアで、仲間として事業を創っていきましょう。
編集後記
柴田さんを取材したのは、入会1ヶ月半でサッカーイベントを立ち上げていた、まさにあの時期を一緒に走り抜けたあとのことでした。朝まで一緒に作業した日々を思い出しながら、改めて「なんでこの人はこんなに動けるんだろう」というのをインタビューしました。
印象に残ったのは、彼が「俺はすごい」とは一度も言わなかったこと。むしろ「自分は雑魚だった」「何者でもなかった」という話を、淡々と、何度もしていました。彼の原体験から、ビジョンや将来の夢まで一貫していて、話を聞いているこちらまで、ワクワクするような時間でした。
「熱狂し続けられる社会を創りたい」
これは取材中、彼が何度も口にしていた言葉です。その行動力の源には、私たちが想像もできないほど過酷な環境で揉まれ、闘い抜いてきた日々があります。内的動機が明確で、それを自分の言葉で語れる。原体験、現在の挑戦、そして将来の夢までが、一本の線で繋がっているのです。
だからこそ、彼の語る「熱狂し続けられる社会」というビジョンには、確かな重みがありました。15年間サッカーに人生を捧げ、最後はベンチで終えた人間にしか見えない景色がある。その悔しさを、次の誰かを救うエネルギーに変えようとしている。
彼の言葉がまっすぐ届くのは、そうした覚悟があるからなのだと思います。
「Spotlight of 研修生」は、このように研修生ひとりひとりのリアルを切り取っていくシリーズです。次回もお楽しみに。
ライター紹介

音楽制作を起点に、エンタメ・地域・教育・ビジネスの領域を横断して活動。「人生に没頭を。」をVISIONに、楽曲制作・映像制作・イベント運営・コミュニティ運営など、表現と仕組みづくりの両面から多様な活動を行っている。


