静岡のお茶を、世界の人に楽しんでもらいたい。その思いから、フィリピンの日本食レストランの小さな一角で始まった「CHOTTO MATCHA(ちょっと抹茶)」。姉妹で育ててきたブランドは、マニラで4店舗を運営。逆輸入の形で、2026年から東京・浅草にも拠点を構えた。
共同創業者の妹・本橋岬さんが起業したのは、19歳のとき。海外での学生生活や仕事を経験しながら、祖母の暮らす静岡の茶農家と、自分が知るフィリピンの市場をつないできた。
なぜ、抹茶だったのか。なぜ、日本ではなくフィリピンから始めたのか。そして、身近な人を応援したいという思いを、どう事業にしてきたのか。ユースキャリア教育機構 副代表理事の高瀬信軌が、その原点と挑戦について聞くため、お店へ直接伺った。
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今回のインタビュー:本橋 岬さん

株式会社MISAKU 取締役/CHOTTO MATCHA共同創業者。
2003年生まれ、東京出身。フィリピン、アルメニアでの留学生活を経て、孫正義に憧れカリフォルニア大学バークレー校(UCバークレー)で学ぶ。在学中の19歳で、姉とともにフィリピンで抹茶カフェを創業。日本とフィリピンを拠点に、抹茶や日本文化を届ける事業に取り組む。
HP:https://chottomatcha.net/ja
Instagram(フィリピン):https://www.instagram.com/chottomatchaph/
Instagram(日本):https://www.instagram.com/chottomatchajp/
フィリピンで育った抹茶カフェが、浅草へ上陸!


高瀬:初めてお店に伺ったのですが、お客様もスタッフの方も国際色豊かですね。日本と海外を掛け合わせることは、意識されているのでしょうか。
本橋さん: そうですね。もともとフィリピンで始まったカフェを、逆輸入する形で日本に持ってきました。浅草では、海外から来た方に少し立ち止まって、日本の文化を体験してもらえる場所にしたいと考えています。
お客様の6〜7割ほどが海外の方です。スタッフも日本人と外国人が一緒に働いていて、本当に世界中の人が集まるような場所になっています。

高瀬:日本のお店を浅草にしたのには、どのような理由があったのでしょうか。
本橋さん: 祖父がもともと浅草の生まれなんです。結婚してから祖父母が静岡に移り、そこで家庭を築きました。その縁もあって、私たちは静岡の茶農家さんを応援する事業を始めたんです。
フィリピンで店舗を広げ、日本でもお店を開こうとなったときに、「おじいちゃんが住んでいた浅草がいいよね」という話になりました。それまでフィリピンで愛されてきたカフェを、もっといろいろな国の方に知ってもらいたい。その意味でも、浅草はいい場所だと思いました。
ただ、実際の経営は山あり谷ありです。お花見のシーズンは良くても、夏は大変だったり、台風の時期はもっと大変だったり。本当にジェットコースターのようにやっています(笑)。
浅草への出店を後押ししたのは、海外のお客様に届けたいという思いと、家族の縁だった。事業の原点にも、祖母が暮らす静岡とのつながりがある。
祖母の暮らす静岡で聞いた、お茶農家の声


高瀬:お店の中にも、ご家族や静岡とのつながりが反映されているのでしょうか。
本橋さん: インテリアは自分たちでデザインしていて、和と洋を掛け合わせることを意識しています。大理石調のテーブルを使いながら、壁の仕上げや色合いには和の雰囲気を取り入れています。
そして、私たちの原点にあるのが、静岡のお茶です。祖母が富士山の麓に住んでいて、帰省するたびに、お茶農家さんが抱えている悩みを耳にしていました。

急須でお茶を飲む機会が減り、需要が落ちている。事業を続けることが難しいという声もありました。でも、長く続いてきたお茶農家さんの仕事や、日本の伝統文化が失われてしまうのは、すごくもったいないと思ったんです。
それなら、自分たちが静岡のお茶を使い、世界に届けることで応援できないか。そう考えたのが、始まりでした。
海外起業=エリートではない!とにかく泥臭い、開業直後の苦労


高瀬:海外での生活は、いつ頃から始まったのでしょうか。
本橋さん: 東京で生まれ育って、10代で海外に出ました。フィリピンに3年間、その後はアルメニアに2年間いました。それからアメリカのカリフォルニア大学バークレー校で学び、日本に戻ってきました。
起業したのは19歳のときです。私はカリフォルニアの大学生で、姉はフィリピンの大学生でした。姉妹で始めたんです。
高瀬:最初から、今のようなカフェをつくったのでしょうか。
本橋さん: いえ、本当に小さく始めました。日本食レストランの端にある、たこ焼き屋さんぐらいのスペースを借りたんです。私はカリフォルニアとフィリピンを行ったり来たりしていました。
そこで得た売上をもとに、2店舗、3店舗、4店舗と、少しずつ大きくしていきました。
高瀬:学業との両立も大変だったのではないですか。
本橋さん: 大変でしたね。ただ、コロナ禍で授業がオンラインになっていたり、録画を見られたりしたので、両立できた部分もありました。
それに、アメリカにいたからこそ、サンフランシスコやシリコンバレーの起業家の熱に触れられたことも大きかったです。勉強や研究もあるけれど、外にはもっと面白いことがあるんだ、と感じました。
孫正義に憧れた中学時代。事業を作り、ビジネスをするしかなかった。
高瀬:そもそも、起業家になりたいと思ったきっかけは何だったのでしょうか。
本橋さん: 14歳ぐらいのときに孫正義さんの本を読んで、「起業家ってかっこいい。私もこうなりたい」と思ったんです。バークレーに進学したのも、孫さんが通っていたからという理由がありました。
もっと小さい頃は、ラーメン屋さんや、旅館の女将さんに憧れていました。食は人を幸せにすると思っていましたし、旅館には、部屋を貸すだけではなく、おもてなしで記憶に残る旅をつくる魅力があると感じていました。
今は抹茶のお店ですが、日本の文化やおもてなしという意味では、昔の憧れにもつながっているのかもしれません。実際に、抹茶ラーメンもつくっていますし(笑)。

高瀬さん:人を応援する方法はいろいろありますが、その中でビジネスに可能性を感じたのは、なぜでしょうか。
本橋: フィリピンでは、貧しい暮らしをしている方を目にすることがありました。自分でも炊き出しを経験したのですが、ご飯を提供しても、それをずっと続けられるわけではないと感じました。
一方、現地で事業をつくれば、女性や若い方を雇い、働く機会や収入につなげられる。茶農家さんを応援したいなら、そのお茶を使うことができる。
ビジネスには、自分が支えたい人を応援したり、望む世の中に少しずつ変えていったりする力があると思っています。まだ小さな規模ですが、その可能性を感じています。


高瀬:フィリピンから始めたことも、その可能性につながっていたのでしょうか。
本橋さん: はい。日本には、おいしいものや飲食店がたくさんあります。一方で、フィリピンでは、日本に比べて抹茶や日本食を提供する場所が少ないと感じていました。
その中では、自分たちが持っているものに価値がある。学生でも、若い起業家でも、挑戦できる市場だと感じたんです。
数字とテック、教育と現場。姉妹の違いが事業を支える

高瀬:姉妹で経営する中で、お互いの得意分野には違いがありますか。
本橋さん: 私は数字やテックが得意で、姉は人の教育や、日々のオペレーションが得意です。
カフェでは、在庫があるか、品質が保たれているか、新人にどう教えるかといった、毎日の積み重ねがすごく大切です。小さなお店でもいろいろなことが起きるので、その対応を姉が緻密にやってくれています。
それぞれ仕事でも、姉は物流に関わるオペレーション、私は金融やコンサルティングなどを経験してきました。違う強みが、うまくかみ合っている感じです。
高瀬:今は、お二人ともカフェの事業に専念されているのでしょうか。
本橋さん: 私はコンサルティングの仕事と並行しています。姉は、今はこの事業一本にしています。


高瀬:普段は、日本とフィリピンで分担しているのでしょうか。
本橋さん: 基本的には姉がフィリピン、私が日本にいますが、お互いに行き来する機会もつくっています。私もフィリピンの事情を知る必要がありますし、姉も東京の状況を知る必要があるので。
イベントやコラボレーションもあるので、それぞれの役割を持ちながら、補い合って進めています。
高瀬:本橋さん自身は、経営のどんなところに面白さを感じますか。
本橋さん: お客様の顔が見えて、自分たちが何を届けているかが分かるところです。
例えば、お土産の商品を導入してみると、その結果が数字に表れる。何かを変えたことで、どう変化したのかが見えるんです。現場の工夫も含めて、小さなところを少しずつ動かしていくと、お客様への影響も見えてくる。それがすごく好きですね!
抹茶を、若者の日常にあるものへ

高瀬:抹茶を提供するだけでなく、イベントやコミュニティづくりにも取り組んでいるそうですね。
本橋さん: はい。私が目指したいのは、「和のイノベーター」のような存在です。日本には伝統工芸品など、まだ知られていない魅力がたくさんあります。それを海外の方や若い世代に届けたいんです。
例えば、だるまや招き猫を手づくりしている方、ヒノキのタンブラーをつくる職人さんの商品を、浅草やフィリピンのお店に置いて、テスト販売やマーケティングの機会をつくっています。
抹茶も、ラテを飲んで終わりではなく、もっと暮らしの中に入っていけると思っていますね。

高瀬:「抹茶ラン」という取り組みもあると伺いました。どんなことをするのでしょうか。
本橋さん: 隅田川沿いを走って、その後カフェに集まり、話したり、お互いのことを知ったりする場です。走った後の一杯が、コーヒーではなく抹茶でもいいよね、という発想でやっています。
ほかにも、お酒ではなく抹茶を楽しみながら音楽に触れるイベントなどを、地域の様々な方と開いています。
高瀬:海外からのお客様だけでなく、日本の若者にも来てほしいという思いがあるんですね。
本橋さん: そうです。海外のお客様が多い場所ですが、観光客がいることを前提にしたお店だけにはしたくありません。日本の若者にも愛されるカフェであってほしいんです。
日本の人にも、抹茶や伝統文化を知ってもらいたい。だから、若い方が参加できる機会をつくっています。
日本のものを世界へ。地に足を付けながら、大きく羽ばたくためには。

高瀬:これから、日本でも店舗を増やしていきたいと考えていますか。
本橋さん: 増やしたい気持ちはあります。ただ、難しさも感じています。日本には抹茶カフェがたくさんあるので。
私たちは、フィリピンで現地に根づくカフェをつくり、オペレーションを学んできたからこそ、日本への逆輸入というストーリーがあります。でも、それがそのまま国内のチェーン展開につながるかというと、簡単ではありません。
自分たちのストーリーやお茶の良さはありますが、たくさんのお店がある中で、どう差別化するのか。それは、今まさに考えている課題です。
高瀬:その上で、今後かなえていきたいことを教えてください。
本橋さん: 「日本のものを世界に」という思いは、ずっと一貫しています。日本と世界の架け橋になるような事業を続けていきたいです。
抹茶は、そのための一つの媒体だと思っています。抹茶だけでなく、日本の工芸品などにも可能性がある。日本には、世界に届けられるものがまだまだあると思うんです。
個人的には、今も孫正義さんに憧れています。日本の経済をもっと盛り上げるために、自分が起業家として何ができるのか。それは、これからも考え続けていきたいです。
ビジネスのスタート:自分の半径2メートルから始めてみよう!

高瀬:最後に、これからビジネスに挑戦したい高校生や大学生、同世代の若者に向けて、メッセージをお願いします。
本橋さん: お伝えしたいことは、二つあります。
一つは、「自分の半径2メートルから始めてみよう」ということです。
流行しているから抹茶をやる、AIが話題だから大きなサービスを開発する。それも一つの方法ですが、自分が好きなものは何か、身近に困っている人はいないか、ある場所にはあるけれど別の場所にはないものは何か。そういうところを見て、小さく始めていくほうが、ビジネスとして形にしやすいと感じています。
高瀬:本橋さんにとっては、その半径2メートルの中に、フィリピンや静岡の茶農家さんがあったわけですね。
本橋さん: そうなんです。自分が留学していたからフィリピンを知っていた。祖母の知り合いに茶農家さんがいた。そういう小さな、人と人とのつながりがありました。
「茶農家さんが困っている」という点と、「フィリピンには日本のものがまだ少ない」という点を集めていくと、つながっていく。その繰り返しで、小さいながらも、こういうお店ができたという感覚です。

高瀬:もう一つは、どんなことでしょうか。
本橋さん: 一方で、「『自分はまだ学生で未熟だから、何もできない』とは思わなくていい」、ということです。
私は、何者でもないけれど、なりたい自分になったつもりでやってみよう、という考え方を持っています。自分が将来の理想の姿だったら、今どんな行動をするだろう、と考えるんです。
私自身、まだまだ未熟な若者です。それでも、学生の皆さんにも、もっと夢や希望を持って歩んでみていいんじゃないかな、と伝えたいです。
祖母の知り合いの茶農家と、自分が暮らしたフィリピン。身近なつながりから始まった事業は、国境を越えて広がってきた。「理想の自分だったら、今どう動くか」。本橋さんの言葉は、これから挑戦する人に、今できる一歩を問いかけている。
※経歴や事業に関する発言は取材時点の内容です。
インタビュアー
高瀬信軌
一般社団法人ユースキャリア教育機構 副代表理事
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