Spotlight of 研修生
今回お話を伺ったのは、山根 晴登(やまね・はると)さん
今回ご紹介するのは、小学4年生から音楽制作を続け、現在はクリエイティブブランド「Project Vertex」を立ち上げてイベント・音楽・映像・アパレルと複数ジャンルで売上を立てる、山根晴登さん。「音楽というスキルだけで、ずっと一人で闇雲に走り続けていた」彼が、なぜメンバーを率いる側に立てるようになったのか。その20年間を、3時間にわたってインタビューしました。
山根 晴登(やまね・はると)
日本大学法学部新聞学科3年/ユースキャリア教育機構(Project SPICA)所属
「人生に没頭を。エンタメで夢中になれる体験を届ける」をVisionに活動する。現在は、音楽・映像・イベント・アパレルを横断するエンタメ事業を構想している。岩手県出身。小学4年生から作曲を始め、音楽制作歴は10年。楽曲は三陸鉄道のPR動画、NHK音楽番組、SONY MUSIC所属アーティストなどへの提供を果たし広く届くようになる。
現在はProject Vertexを立ち上げ、海外メンバーとも連携しながらイベント・音楽・映像・アパレルと複数ジャンルで売上を立てている。
「Spotlight of 研修生」は、ユースキャリア教育機構に所属する研修生を、ひとりずつ深掘りするシリーズ企画です。ユースキャリアにいる様々な研修生のリアルを、一人ずつ図鑑のように紹介していきます。
- 一人で何かを続けてきたけれど、限界を感じている人。
- 「やりたいこと」と「やれること」が結びつかず、闇雲に動いてしまっている人。
- 過去の失敗や努力を「無駄だった」と思い込んでしまっている人。
「録音機2台で曲を作っていた、小学4年生の夏」
━━音楽との出会いを教えてください。
小学4年生の夏、吹奏楽部に入ったタイミングで作曲を始めました。PCも機材も持ってなかったので、その年の誕生日に録音機が欲しいと親に懇願し、買ってもらった2台の録音機を使ってたんですよ(誕プレで親から録音機を買ってもらう小学生は他にいないでしょう笑)。1台でピアノから鳴る音を録って、それを再生しながら、もう1台で重ねて録る。その繰り返しで曲を作っていました。
もちろんノイズだらけで、今聞いたらひどいクオリティです(笑)。でも、楽しかったし、それで満足だったんですよね。

↑作曲に夢中になっている小6の頃の山根
━━ご家族はどんな反応でしたか?
親は何も言わなかったです。「将来、何かやってくれる」っていう目で、ただ見守ってくれていた。それが嬉しくて、その期待に応えたかった。今思えば、あれが全部の原点だったなと。
機材も技術もなくていい。”続けてしまうもの”が、後から武器になる。
「1軍だった僕が、空手道部で壊れるまで」
━━中学までは順調だったと聞きました。
岩手県の小さな公立中学校で、応援団長で、学級副委員長で、彼女もいて、ヤンチャもして……いわゆる「1軍」と呼ばれるような学生でした。科学の甲子園で全国大会にも出ましたし、自分でも調子に乗っていたところはあったと思います。
━━それが高校で一変したと。
父親の影響で空手道部に入部したんですけど、その練習が計り知れないものだったんです。腹筋がつって歩けなくなるまで休憩はないし、骨折は当たり前。部活だけでなく道場にも通った毎日は、本当に壮絶でした。
とうとう病んでしまって、誰とも会話せず、他人を拒絶して、毎晩泣くようになって。そんな中で、男子の同期が全員辞めたんです。自分が辞めたら廃部になる。責任感だけが、自分を縛っていました。
正直、すぐにでも辞めたかったです。
「曲を聴いて、自分も救われたから」——先輩の一言で、僕は前を向いた
━━どうやってその状況を抜け出したんですか?
唯一のストレスの吐け口が、小4から続けていたボカロ曲を作ることだったんですよ。数人だけど、共感してくれた友達や先輩、先生がスマホに曲をダウンロードして聴いてくれていました。
ある日の授業終わり、曲を聴いてくれていた先輩が突然教室に来て、こう言ったんです。
「部活、今日くらい一緒にサボろう」
って腕を引っ張って、海まで連れて行ってくれました。「曲を聴いて、自分も救われたから、救いたい」って。あの瞬間は、本当に忘れられないです。
━━そこからキャプテンになったと聞きました。
顧問の先生も、まだ2年生の自分にキャプテンを勧めてくれたんです。「お前の想いに共感したよ」って。同期ゼロのまま、後輩20人と先輩15人を率いる、前代未聞のキャプテンになりました。
それから部活と道場を掛け持ちしながら、毎日作曲もしていました。苦じゃなかったというより、苦難が多すぎて、それを乗り越えることに没頭してたんです。気づいたら、仲間がついてきてくれていて、助けてくれるようになって。
最後の大会で、県大会団体・個人ともに準優勝、東北大会まで進めました。

※準優勝なのに、ボコボコにされた顔をしている山根
━━楽曲も外に届くようになったとか。
そうですね、同じ時期に。三陸鉄道のPR動画を作らせてもらったり、NHKの取材を受けたり、ヒャダインさんや岡崎体育さんが出演されている音楽番組で曲を紹介していただいたり。最終的には大阪の音楽レーベルを介して、SONY MUSICに所属するアーティストに楽曲提供までさせていただきました。
自分の曲が、自分を救って、そして周囲を動かした。この経験が、今エンタメ事務所をゼロから立ち上げたいと思える原点になっています。
自分を救ったものは、いつか誰かを救うものになる。
株で10万円、ビール事業で失敗——「自分の力で生きたい」と闇雲に走った大学時代
━━大学に入ってからはどうでしたか?
上京して、いわゆる「普通の大学生」のルーティーンの中にいました。バイトして、ボウリングやダーツして、飲んだり旅行に行ったりを繰り返す毎日。最初は楽しかったんですよ、本当に。
でも、だんだん刺激がなくなってきて。物足りなさを感じるようになって、「自分の力で生きたい」って思うようになったんです。

↑まだThe大学生だった時の山根
━━そこから何を?
そこからはもう、闇雲でした。1日で株で10万円損失したこともあるし、地元の岩手でビール事業を起業しようとして失敗もしました。音楽の経験を活かして何かできないかと、手当たり次第に模索して。
うまくいかなかったんですよ、全然。でも、止まれなかった。小学生の頃から、ずっとそういう人間だったので。
「キャリアは化石掘りだよ」━━澁谷さんの一言で、20年間が言語化された
━━ユースキャリアに入会した転換点は?
入会してすぐ、ユースキャリア教育機構(COLOR≡CREATIVE)所属の澁谷さんと2人で話す機会があったんですよ。そこで言われたんです。
「キャリアって、化石掘りなんだよ」
その瞬間、20年間が一気に言語化されました。録音機で曲を作っていたことも、空手も、株も、ビール事業も全部、無自覚な「化石掘り」だったんだなって。
━━過去が全部つながった感覚ですか。
そうですね。それまで自分の中で「失敗」だと思ってたことが、「失敗じゃなかった」と初めて思えたんです。全部、自分の中の何かを掘り当てるための行為だった。
そこからは、やりたいこと、やれること、需要があるところ。この3つが重なる場所を、改めて探しました。答えはシンプルで、自分を救い、そして周囲を動かした僕の原点である、音楽だったんです。
過去の失敗も寄り道も、全部「試し掘り」だった。そもそも掘らなければ、化石に当たることもない。
「1ヶ月半寝ずに準備したイベント、結果は参加者1名だけ」
━━掘る場所が見えてからは、順調でしたか?
いや、一打目はあっさり外れました(笑)。
MV制作イベント「ReCreate120」を秋葉原で開催するために、同期と2人で1ヶ月半、ほぼ寝ずに動いたんですよ。LP作って、企画立てて、集客して、当日運営して。結果はCV1名。大失敗でした。

※秋葉原で開催した「ReCreate120」の様子
━━そこで折れなかったのはなぜですか?
仲間がいたからです。本当にそれしかない。
毎日相談に乗ってくれた先輩と、一緒に90日間ほぼ寝ずに動いてくれた同期がいた。一人だったら、絶対に折れていました。あの夜、誰かが隣にいたっていう事実が、自分をもう一度立たせてくれたんです。
中学の時、海まで連れ出してくれた先輩がいたから今があるのと同じで、大事な瞬間には、いつも誰かがそばにいてくれているんですよ。
折れないために必要なのは、いつも仲間が隣にいるという「環境」だった。
「同じMV制作イベントを、半年後にもう一度やってみた」
━━その後、どう動いたんですか?
人生単位のVisionを持って、将来から逆算して、今やるべきことを考え行動しまくる。それをひたすら繰り返しました。
そして、同じMV制作イベントを、半年後にもう一度開催することにしたんです。今度は単価を上げました。にもかかわらず、集客3日目で10名以上が集まったんですよ。来月、本番を迎えます。
━━半年で何が変わったんでしょう。
環境ですね。これに尽きます。
同じ自分が、同じ企画でやってるのに、半年で結果が変わった。スキルが急に伸びたわけじゃないんですよ。Visionが言語化されて、逆算で動けるようになって、本気で動く仲間が周りにいるようになった。それだけで、こんなに変わるのかって、自分自身がびっくりしました。
「環境が人を変える」って言葉、頭ではわかってたんですけど、身体で理解できたのはこの時です。
「プレイヤーから、率いる側へ━━音楽だけじゃ、届かない場所がある」
━━現在はProject Vertexを立ち上げて、複数ジャンルで動いていますね。
僕のVisionは「人生に没頭を。エンタメで夢中になれる体験を届ける」なんですけど、音楽はそのVisionの手段の一部でしかないって気付いたんですよ。
Project Vertexを立ち上げてからは、メンバーを率いて、イベント・音楽・映像・アパレルと複数ジャンルで売上を立てるようになりました。海外のメンバーとも一緒に動いています。

━━1人で曲を作っていた頃と、何が一番違いますか?
届く範囲が、桁違いに広がったことです。
一人で録音機を回していた時間が、無駄だったわけじゃないんですよ。あの時間があったから、今の自分がいる。でも、一人では絶対に届かない場所があるんです。今、やっとその場所に立てている感覚があります。
━━率いる側になって、気付いたことは?
自分が本当に届けたいのは、曲そのものじゃないんだなって。自分が中学生の時に救われたような、「居場所」「役割」「生きがい」だったんです。
没頭できる環境を、人に提供できる人になりたい。そう思うようになりました。サッカー選手にとってのピッチみたいに、誰かにとって「ここでなら本気になれる」「没頭できる」という場所を、自分の手で作りたいんです。
一人で続けた時間は、無駄じゃない。でも、その先に「届けたい誰か」が見えた瞬間、プレイヤーから率いる側に変わる必要がある。
「Vertexは、誰もが掘れる場所にする」

━━これから、どんな未来を描いていますか?
これから、ユースキャリアに音楽事業の柱を立てます。そして、世界中の人が知っているエンタメ事務所の社長になります。
僕は環境で、心身が全部崩れた人間です。そして、環境で救われた人間でもあります。だからこそ、断言できるんですよ。変わりたいのに、変われる環境がない学生は、まだたくさんいるって。
━━どんな仲間を募集していますか?
- エンタメで人の人生に没頭を届けたい人
- 「自分にも何か”掘れる化石”があるはず」と感じている人
- 一人で頑張ってきたけど、本気の仲間と組みたい人
少しでも心が動いた人は、ぜひ一度話を聞かせてください。動けないなら、一度ユースキャリアに来てみてほしいです。あなたの中に眠っている「化石」を、一緒に掘りに行きましょう。
山根晴登さんからのメッセージ
小学4年生で録音機を回していた自分が、まさかこんなふうにメンバーを率いて事業を作る側になるとは、当時は想像もしていませんでした。
20年間、自分は「音楽」というスキルだけで、ずっと一人で闇雲に走ってきたんです。でもユースキャリアに入って、「キャリアは化石掘り」という視点をもらって、人生が一気に言語化されました。失敗だと思っていたことが、全部、化石を掘るための一打だったんだって。
最初のイベントはCV1名で惨敗しました。それでも続けられたのは、隣にいてくれた先輩と同期がいたから。中学の時、海まで連れ出してくれた先輩がいたのと、同じです。結局、大事な瞬間には、いつも誰かがそばにいてくれているんですよ。
今の自分に納得できていない人へ。
もし今、闇雲に走っているなと感じているなら、一度立ち止まって、自分の過去を振り返ってみてほしいんです。あなたが今までやってきたことは、絶対に無駄じゃない。全部、化石掘りなんですよ。
そして、もし一人で限界を感じているなら、ぜひ環境にこだわってみてください。最初の一歩を、踏み出してみてほしいです。
編集後記
山根さんを取材したのは、半年前にCV1名で大失敗したMV制作イベントを、もう一度立ち上げている真っ最中のことでした。
印象に残ったのは、彼が「過去の失敗」を、もう「失敗」とは呼ばなかったことです。株で10万円負けたことも、ビール事業の失敗も、CV1名の惨敗も、ぜんぶ「化石掘りの一打目」として、淡々と話していました。
「自分の曲が、自分を救った」。
これは、取材中、彼が自然に口にした言葉でした。一人で作っていたものが、巡り巡って自分を助け、周囲を動かし、そして今は事業になっている。一人で続けた時間は、決して無駄じゃない。それを、彼の20年間が証明しているように感じました。
「Spotlight of 研修生」は、このように研修生ひとりひとりのリアルを切り取っていくシリーズです。次回もお楽しみに。
ライター紹介

ユースキャリア教育機構(Project SPICA)所属
15年間サッカーに打ち込み、高校時代は全国ベスト4を経験。引退後の喪失感を原体験に、「熱狂し続けられる社会を創る」をテーマに、サッカー選手のキャリア支援事業を構想している。入会1ヶ月半で来場者150名・協賛13社の大型サッカーイベントの立ち上げ、サッカー英会話スクール、APU専門塾、国際コミュニティ運営など様々な活動を行っている。


