まちづくり/地域活性化を仕事にしたきっかけは、やさしい想いからでした。

<プロフィール>
1998年新潟県上越市生まれ。法政大学在学中に岩手県大槌町復興取材を行う。震災取材から大槌町で衝撃的な出会いを果たし、2018年に「大槌プロジェクト」を設立する。地域活性化・まちづくりの講師として大学で授業登壇。NHKなどに取材される。その他にも暮らしづくりの複合施設「みちくさくらす」を共同経営する。現在は、発達障がい児支援事業をしながら、社会起業家育成コミュニティ「だん」の代表をつとめる。

ーー中村さんは大学時代から、今に至るまで社会貢献の活動をしてきております。
社会を良くしたいと思うきっかけなどはありますか?

特に何か大きなきっかけがあったとかでは無いですが、一番大きな要因は、生まれた環境によるものであることは間違いないと思います。私の両親は2人とも教員で、障がい者や特別支援学級のクラスを担当していました。父は比較的年齢が高い高校生を、母は小学生低学年を教えています。元々そういう環境に生まれたこともあり、社会問題について、家庭内で話したりすることも多かったです。

ーー具体的に興味を持ち始めた時期などは覚えていますか?

高校生の時だったと思います。
中学までの私は、親に迷惑もかけないよう、人にほめられるために、頑張る生き方をしていました。しかし高校生になってから、今後、人に褒められる基準がなくなった時に、自分を受け入れてくれる人はいるのかと悩む時期がありました。その時に、他人の評価軸での生き方に違和感を覚えるようになり、人の基準の評価ではなく、自分の価値観で生きてみたいという気持が出てきました。具体的な出来事としては、地元以外の世界も見てみたいという想いと、元々英語が好きという理由から、どうしてもホームステイに行きたくて親にお願いしたことです。この時は既に人と違うことをしたいという想いがあったのかもしれませんね。
社会貢献について考えだした印象的な出来事としては、毎年母親がユニセフにお金を寄付していることを知った時です。こんなお金の使い方があるんだと知り、高校生の時に自分のお金を初めて寄付しました。そこから、社会貢献に関して意識が芽生えだした気がします。

ーー大学入学当初についてお話を聞かせて下さい。

入学当初から、親に私立の学費や家賃などを払ってもらっていたので、その時間は無駄にしたくないという想いはありました。学校の勉強はしっかりやろうと考えていましたが、次第に学校以外のこともしないといけないなと思いました。
大学ではボランティアサークルや国際法を学ぶサークルなどにも所属しましたが、自分の目的とは違うことが分かったので、途中で辞めました。その後も国連やNPOなどのイベントやボランティア活動などに参加する日々が続きました。

ーー社会貢献の活動をしていく中でターニングポイントのようなものはありましたか?

大学1年秋までは、行動はしていたのですが、割と空回り期であったと思います。想いを持って行動しているけど、結果などが出ない時期でした。地に足が付いた活動が出来ていなかったんだと思います。自分のやりたい活動が少しずつ出来るようになったのは、地域と学生をむすぶ、「第2のふるさと」をつくるプロジェクトである、大槌プロジェクトを立ち上げたぐらいからだと思います。大槌プロジェクトをやろうとした最初のきっかけは、 東日本復興取材という名目で岩手県大槌町にいったことです。それまでの取材活動では暗い現実社会問題について取り上げることが多かったです。その中でも、私自身どんなふうに伝えれば良いのだろうと葛藤を抱えていました。

ーー東日本復興取材以前にはどんな取材活動をしていて、どんな葛藤がありましたか?

そうですね。例で1つ上げるとしたら、在日難民問題についての取材です。
私が取材した在日難民の方は、正式な更新の手続きが上手くいかず、ビザが切れて在留資格が無くなってしまったという事情がある方でした。その方の話を聞いて、理不尽だなと思うことも多かったのですが、やはり国としては身元がはっきりしない人を隔離したり、審査することは大事であると思う一方で、私が目の前で話しているこの人が、はたして収容されなくてはいけない理由はあるのかなと思う気持ちもありました。色々な社会問題について取材をしていると、立場によってそれぞれの正義なども変わります。そんな中で何に耳を傾け、何を伝えれば良いか分からず悩んでいる時期でした。

ーー先ほど話に出た大槌での活動について詳しく教えてください。

「人の心に会いに行く」、大手メディアが発信するような震災の被害状況を事実ベースで伝えるのではなく、そこにどんな人が生きているかどんな想いでその場所にきました。そこで大槌町のある人との出会いが人生を変えました。

ーー大槌で中村さんの人生を変えた人はどんな人ですか?

八幡さんという方です。当時の震災地であった岩手県大槌町にはボランティアに来る人はたくさんいたんですが、寝泊まりする所がない人が多かったんです。そんな中、八幡さんは自分の自宅を無料で解放して、大学生を泊めたり、ご飯を無料で提供してくださったりしてました。そんな人がいると知って会う予定を組んで頂き、当時やっていたメディア団体で東日本復興取材という企画を作りました。その当時は色々悩んでいる時期でもあり、初めて大槌に訪れたときに最初に八幡さんにかけてもらった言葉が「おかえり」という言葉でした。それが当時の私にとっては凄くしみた言葉でした。八幡さんは、ホントに温かい心の持ち主でした。そういう人の周りには自然と色んな方たちが集まってくるし、こんなに優しさがめぐる社会があるんだなと思い、私にとっては希望に感じました。暗い現実を社会に伝えて社会に問題提起をすることも大切ではありますが、それよりは自分は既にある温かい社会とか、誰かを思える人を増やすといった社会貢献の仕方のほうが、自分のやりたいことであると思えるようになりました。当時は自分の持っている資産などもなかったので、きっかけを貰った大槌という場所で活動を始めました。

ーー社会貢献の活動を続ける動機などはあるのでしょうか?

社会貢献と呼ばれる活動をしていると、活動動機について誤解されることがあります。
例えば私からしたら、休日に社会問題について調べたり活動することは、勿論大変なことはあるけど、基本的には自分の好きなことであるし、関心を持つものであるからそこに時間や労力を割くことは、みんなが休日に映画を観に行ったり友達と買い物に言ったりすることを楽しんでいる感覚とあんまり変わらないと思うんですよね。だから偉いねとか真面目だねって言われるんですが、別に動機はそんなに高尚なものではなく、たまたま興味を持った分野が「社会貢献」であっただけなんですよね。

ーー中村さんは社会起業家育成コミュニティ「だん」の代表でもあります。
なぜこのコミュニティをやっているのでしょうか

良い思いを持った子たちと良い事業をしたい、良い社会をつくりたいというのが一番の目的です。だから私の想いに共感してくれる子に対して、一緒にやると決めたメンバーの人生に関してはある程度の責任を持っていくつもりです。社会貢献を趣味でやることは良いことだと思いますが、仮に趣味でやるのであればその規模を趣味の範囲で抑えなくてはいけないし、拡大したり人を巻き込んでやるのであればそこに責任は生まれてきます。何故なら大げさと思うかもしれないですが、それは人の人生を変えていると思うからです。巻き込まれた人の人生を不幸にしたら、本末転倒になってしまいますから。いますぐに事業をやるとなったら、できる規模はまだまだ小さいと思いますが、それぞれが実力や力をつけて、何年後かには社会にインパクトを与えられる組織にしていきたいです。社会貢献の分野は、想いを持ってやっている人は多いんですが、実力がある人は少ないのが現状です。優しい想いを持っているんだけど、力がないがゆえに活躍できない人も沢山います。そんな想いを持った人に対して、その人が最大限活躍できる場や機会を与えるような組織にしていきたいです。

ーー大学1年生のひなたさんに伝えたいこと(アドバイス)はありますか?
ひなたさんに憧れていて社会貢献などをしたいと考えている人や過去の自分に対してアドバイスはありますか?

難しい事なんですが、本物の人とつるんで欲しいです。

ーー本物とはどういうことでしょうか?

表面上の良い事をやってるように見える人が沢山いますが、活動を継続していたりとか、努力をしっかりしている人は少なかったです。活動を継続していたり、努力をしっかりしている人達の当たり前に合わせて、自分が行動することの基準を上げることは大切です。その為には人を見極める力などは必要ですが、まずは多くの人に触れることをお薦めします。イベントやボランティアを1年の11月頃まで行ってましたが、「一年生なのに偉いね」とか社会貢献の活動をしてることを褒めてくださる人は多かったですが、先の未来を一緒に歩んでくれる人はいませんでした。「社会を良くしたい」という思いを持ったまま、どうやったらより良くなるか、夢が叶いやすくなるかをアドバイスしたり、一緒に考えてくれる人は凄く少なかったです。想いを持った状態でそれをどうやったら叶えられるかを真剣に考えてくれる人は大切にしたほうが良いと思います。例え厳しいことを言われたとしても、いつか必ず自分の為、社会の為になると思います。

(インタビュー:粂川達)

もし中村さんの活動や想いに興味を持たれた方は…
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中村さんがやっている活動の詳細が知りたい人は読んでみてください。

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