【起業事例】元Jリーガー コンサドーレ札幌 古田寛幸選手のセカンドキャリア 「自分から『サッカー選手』を奪われるのが怖かった」

今回お話を伺ったのは、元プロサッカー選手古田寛幸(ふるた・ひろゆき)さん。18歳でコンサドーレ札幌でプロデビューし、10年間にわたりJリーグのピッチで戦い続けた元トップアスリートです。

2019年に引退後、彼が選んだのは「指導者」という道ではなく、兵庫県・淡路島での「起業」でした。なぜ彼は、輝かしい実績を捨ててゼロからの挑戦を選んだのか。

小学生時代の「過酷なサバイバル」から、プロでの挫折、そして現在、言葉と教育を武器に挑む新たなビジョンについて、ユースキャリア編集部が迫ります。

動画版はこちら! https://youtu.be/JatLFywbD_k

第1章:兄の影響と、まさかの「ジャッキー・チェン」への憧れ

ユースキャリア編集部(以下、編集部): 本日はよろしくお願いします。まずは古田さんのルーツから伺いたいのですが、そもそも、なぜサッカーを始めたのでしょうか?

古田さん: 始めたのは小学3年生、8歳の時です。でも実は、僕が最初になりたかったのはサッカー選手ではなく「ジャッキー・チェン」だったんですよ(笑)。

編集部: ジャッキー・チェンですか!? それは意外です。

古田さん: 当時は本気でした。アクションスターの身のこなしに憧れて、家の中で修行をしていたんです。壁にクッキーの空き缶を貼り付けて、それを「突き」の的にしたり。それで、親に頼み込んで少林寺拳法の体験に行ったんです。

でも、当時の僕は極度の人見知り。知らない人ばかりの道場という空間が怖くて、すぐに心が折れてしまいました。結局、少林寺は1日で辞めてしまったんです。そんな時に身近にあったのが、8歳年上の兄がやっていたサッカーでした。

編集部: お兄さんの影響だったのですね。

古田さん: そうですね。それと、近所の友達がみんな地域のサッカースポーツ少年団に入っていたんです。「あそこに行けば友達がいる」という安心感が、内向的だった僕の背中を押してくれました

もしあの時、少林寺に友達が一人でもいたら、僕は今頃アクションスターを目指して武術を極めていたかもしれません(笑)。

でも、この「友達がいるから」という消極的なスタートが、後に僕の人生を根底から変えることになります。

第2章:小学生からのサバイバル。セレクションが変えた内向的な少年

小学4年生時代の古田選手

編集部: 遊びの延長で始まったサッカーが、いつ頃から「真剣な勝負」に変わったのですか?

古田さん: かなり早かったです。小学4年生頃には、もう「サバイバル」の世界に足を踏み入れていました。北海道の札幌選抜や区の選抜に呼ばれるようになると、周囲はライバルばかり。そこでは常に「セレクション(選抜試験)」が繰り返されるんです。

編集部: 10歳前後で、すでに「落とされるかもしれない」という恐怖と戦っていたと。

古田さん: まさにそうです。最近のアニメで例えるなら「ブルーロック」のような世界でした。最初は100人いた候補者が、1ヶ月後には80人に絞られ、さらに50人に……と、どんどん仲間が削られていく。

元々の僕は、授業で手を挙げることすらできないほど消極的な性格でした。でも、この過酷な環境が僕の性格を強制的に書き換えたんです。

「黙っていたら、ここに残れない」
「自分をアピールしなければ、明日はない」。

生き残るための本能が、内向的な僕を突き動かしました。

編集部: その変化は、今の学生たちが直面する「就職活動」や「インターン」での選抜にも通じるものがありそうです。

古田さん: 本当にそう思います。中学生の時、ある先輩から言われた言葉が忘れられません。「古田、この世界は人と喋らないと生き残れないぞ。もっと自己主張しろ」と。

その言葉がきっかけで、僕の中に一つの「戦略」が生まれました。学校の授業では相変わらず一言も発しないのに、サッカーの講習会や練習の場では、一番前に座って講師を質問攻めにする。

自分が夢中になれる「サッカー」という盾がある時だけは、別人になれた。

自分の居場所を確保するために、自らを環境に適応させていく。この時に培った「自己プロデュース力」は、今の起業家としての活動にも間違いなく繋がっています

第3章:12歳での原体験。ドイツの空の下で決めた「プロ」と「海外」

中学2年生頃の古田選手

編集部: 「プロ」を明確に意識したのはいつ頃だったのでしょうか。

古田さん: 小学6年生、12歳の時です。札幌市の姉妹都市であるドイツのミュンヘンへの遠征メンバーに選ばれたことが、決定的な転機になりました。

編集部: 12歳での海外遠征。多感な時期に、どのような衝撃を受けましたか?

古田さん: 言葉も通じない、文化も違う。でも、ピッチに立ってボール一つあれば、ドイツ人の大きな選手たちと心を通わせることができる。「サッカーって、なんて自由で、なんて大きな力を持っているんだ!」と心の底から感動したんです。

ミュンヘンの澄んだ空の下で、「僕は絶対にプロになる。そしていつか、またこのドイツのような海外の舞台でプレーするんだ」と強く心に誓いました。

編集部: 帰国後の行動は、それまでとどう変わりましたか?

古田さん: 「逆算思考」が身につきました。小学校の卒業文集には迷わず「プロサッカー選手になる」と書きましたが、それは単なる夢ではなく、僕の中では「決定事項」でした。

「プロになるためには、今の自分に何が足りないのか?」「中学・高校でどのレベルに到達すべきか?」

周囲の友達がゲームや遊びに夢中になっている間も、僕の頭の中には常に「プロへのロードマップ」がありました。この「ゴールから逆算して今を定義する」という考え方は、ビジネスにおいても最も重要なスキルの一つだと今では確信しています。

第4章:「雪道のドリブル」と「自律」。プロを掴み取った独自の努力論

編集部: その後、札幌コンサドーレのユースチームに進み、18歳でトップチーム昇格。まさにエリート街道に見えますが、その裏にはどんな「古田流の努力」があったのでしょうか。

古田さん: 僕は「努力」を努力だと思っていませんでした。それは一種の「自分をハックするゲーム」だったんです。

例えば、北海道の冬。グラウンドが使えず、外は雪が積もって路面はツルツルに凍ります。普通なら室内練習で済ませるところですが、僕は一人で外に出て、その氷の上でドリブル練習をしていました

編集部: 氷の上でドリブル……! 想像するだけで過酷です。

古田さん: スリッピーな場所で思い通りにボールをコントロールできれば、春になって芝の上でプレーした時、誰よりも自由に動けるはずだと考えたんです。コーンを置いて、足が凍えるような寒さの中で黙々とボールを運ぶ。

誰かに「やれ」と言われたわけじゃありません。むしろ親からは「風邪を引くからやめなさい」と言われていたくらいです。

でも、窓からその様子をずっと見ていた父親は、後にこう言っていました。「あいつは、あんな環境で自分を律して追い込めるんだから、絶対にプロになると思った」と。

編集部: それこそが、古田さんの仰る「自律」ですね。

古田さん: はい。プロの世界には、才能がある人なんて山ほどいます。でも、自分で課題を見つけ、誰も見ていない場所で自分なりの「勝ち筋」を追求できる人は意外と少ない。

「みんながやっていない時に、何をやるか」。 この「自律心」こそが、サッカーというフィールドを離れても、どんな業界でも通用するポータブルスキル(持ち運び可能な能力)の正体なのだと思います。

第5章:10年のプロ生活と大怪我。キャリアの岐路で感じた「底知れぬ恐怖」

編集部: 18歳でプロの門を叩き、10年間。華々しいキャリアを築かれていた古田さんを襲ったのが、選手生命を揺るがす大怪我でしたね。

古田さん: 20代後半、海外移籍を懸けてタイのチームの練習に参加していた時のことです。
半月板断裂……。大事なときに、大怪我にあったんです。

病院のベッドで動けないまま天井を見上げている時、人生で初めて「底知れぬ恐怖」に襲われたんです。

編集部: その「恐怖」とは、怪我が治らないことへの不安でしょうか?

古田さん: いえ、もっと残酷なものでした。窓の外を見れば、同年代のビジネスパーソンたちが忙しそうに歩いている。彼らはこの数年でスキルを磨き、社会での市場価値を高めている。

ひるがえって自分はどうだ? 「もし、今ここからサッカーを取り上げられたら、僕には何が残る?」

答えは「ゼロ」でした。自分にはボールを蹴ることしかできない。社会のルールも知らないし、メールの書き方一つ分からない。あの時の惨めさは、現役時代のどんなプレッシャーよりも重く、冷たいものでした。

編集部: それは、今の就活生が感じる「自分には何もない」という焦りに近いものかもしれません。

古田さん: まさに同じだと思います。でも、その絶望があったからこそ、僕は「サッカー選手・古田」という看板を一度捨てて、一人の人間として社会に飛び出す覚悟が決まったんです。

第6章:常識を捨てる。「指導者」という安住の地を選ばなかった理由

編集部: 引退後、周囲からは「コーチやスクールの監督にならないか」という誘いもあったはずです。なぜ、あえて「ビジネス」という茨の道を選んだのですか?

古田さん: 理由は2つあります。1つは、コーチライセンスを取得する過程で感じた「違和感」です。

技術を教えることはできる。でも、僕が本当に伝えたいのは、技術の先にある「どう生きるか」「どう自分を律するか」という部分だった。それはサッカーの現場だけでは収まりきらないと感じたんです。

もう1つは、厳しい言い方ですが、「過去の栄光を食いつぶして生きたくなかった」からです。

編集部: 過去を食いつぶす、ですか。

古田さん: はい。元Jリーガーという肩書きを使えば、最初はある程度稼げるかもしれません。でも、それは「過去の自分」にお金を払ってもらっているだけ。30歳、40歳になった時、果たして自分は今以上に輝いているだろうか?

「パパは昔すごかったんだよ」と過去形の物語を語る父親ではなく、「パパは今、こんな新しい価値を社会に作っているんだ」と現在進行形の背中を子供に見せたかった。

そのためには、一番楽で安定した「指導者」という選択肢を、あえて真っ先に消去する必要がありました。

第7章:淡路島への移住と起業。惨めさを乗り越えた「モデリング」

編集部: そして、縁もゆかりもない淡路島へ。なぜそこまで極端な環境変化を選んだのでしょうか。

古田さん: 僕は自分の「勝ち筋」を知っています。それは「勝っている人のそばに行き、その思考を完全に盗む(モデリングする)」こと。SNSで、淡路島を拠点に場所を選ばず活躍する経営者のことを知り、「この人だ!」と直感しました。

引退を決めた直後、北海道から淡路島へ飛び、ビジネスを教えてほしいと直接頼み込んだんです。

編集部: プロとして10年活動したプライドを捨てての懇願ですね。移住後の生活はいかがでしたか?

古田さん: 地獄でしたよ(笑)。最初の10ヶ月は、これまでの人生で一番惨めでした。ブラインドタッチすらできず、パソコンの前でフリーズする日々。

周りのスタッフは、僕がプロ時代に浴びていた歓声なんて誰も知りません。ただの「仕事ができない新人」としての扱い。

編集部: その「負の感情」をどう乗り越えたのですか?

古田さん: 毎日、彼の後ろをついて歩き、彼の発する言葉、判断の基準、時間の使い方をすべてメモしました。

今の自分は、プロ1年目のあの時と同じだ。できないのが当たり前。なら、誰よりも練習(勉強)するしかない

そう自分に言い聞かせました。かつて雪道でドリブルを繰り返したように、深夜までタイピングを練習し、ビジネス書を読み漁る。「サッカーで培った自律心」を「ビジネススキルの習得」にそのままスライドさせたんです。

この「スキルの転用」こそが、キャリアチェンジにおいて最も強力な武器になる。それに気づいた時、淡路島の海が、現役時代のスタジアムと同じくらい輝いて見えました。

第8章:「足」から「言葉」へ。感情を動かす舞台をピッチから教育へ

編集部: 現在、古田さんは「教育」というフィールドで、具体的にどのような価値を届けようとしているのでしょうか。

古田さん: 僕がいま取り組んでいるのは、単なるサッカースクールではありません。子どもたちや若者に、僕がプロの世界で学んだ「人生を自力で切り拓くためのOS(思考の基盤)」を届けることです。

プロ時代、僕は「足」でサポーターの感情を動かしてきました。
でも今は、その武器を「言葉」に変えました。

編集部: 「言葉」を武器に。それは具体的にどういうことでしょうか?

古田さん: 例えば、僕が提唱している「逆算思考」「自律心」です。これらはサッカー特有のスキルだと思われがちですが、実はどんな仕事にも、そしてどんな人生の岐路にも通用する「ポータブルスキル(持ち運び可能な能力)」なんです。

今の学生たちと話していると、多くの人が「自分には特別な才能がない」と悩んでいます。でも、それは違う。才能がないのではなく、「自分の磨き方」を知らないだけなんです。

かつての僕が、雪道で一人ドリブルを繰り返した時、何を考え、どう自分を律したのか。そのプロセスを「言葉」として体系化して伝えることで、彼らの目に光が灯る瞬間がある。その瞬間が、ゴールを決めた時以上に今の僕には嬉しいんです。

編集部: サッカーの技術を教えるコーチはたくさんいますが、「生き方」を教える元プロ選手は稀有な存在ですね。

古田さん: 僕は、彼らに「プロサッカー選手になれ」とは言いません。「プロの基準で、自分の人生を生きろ」と言いたい。

サッカーという極限の勝負の世界で10年間、毎日クビを切られる恐怖と戦いながら生き抜いた僕だからこそ、伝えられる「リアルな言葉」があると信じています。

最後に:流されず、自分の「島」から降りないでほしい

編集部: キャリアに悩み、周囲の視線や「安定」という言葉に揺れている若者たちへ、最後にメッセージをお願いします。

古田さん: 僕が一番大切にしている、「島から降りない」という話をさせてください。

何か新しい挑戦を始めようとすると、最初はみんな応援してくれます。でも、少し時間が経って結果が出ないと、周りは「やっぱり無理だよ」「もっと普通に生きなよ」と、あなたを島から降ろそうとします。

そして何より、自分自身が不安に負けて、勝手に島から降りてしまう。

編集部: 多くの人が、成功する前に自ら諦めてしまうのですね。

古田さん: そうです。でも、僕が見てきた「成功者」たちは、必ずしも最初から最強だったわけではありません。ただ、他の人が不安や飽きで島を降りていく中で、最後までその島に残り続けた人たちなんです。

編集部: 粘り強く、居続けること。

古田さん: はい。まずは自分の理想とする未来に「逆算」でロックオンする。そして、尊敬できるロールモデルを見つけ、その背中を追い、何があっても自分の決めた島で踏ん張り続ける。

もし今、あなたが「自分には何もない」と絶望しているなら、それはチャンスです。かつての僕が膝を壊してすべてを失った時、そこから新しい人生が始まったように、絶望は新しい自分をインストールするための「空白」に過ぎません。

周りの声に流される必要はありません。自分の好奇心を信じて、自分の島を守り抜いてください。その先にしか見えない景色が、必ずあります。

編集後記

インタビュー中、古田さんが放つ言葉の一つひとつには、10年のプロ生活で削り出されたような鋭さと、淡路島という新天地で得た柔らかな情熱が同居していました。

「元Jリーガー」という輝かしい肩書きさえも、彼は「次のステージへ進むための単なる素材」として扱っています。過去の栄光に固執せず、未経験のビジネス界で「ブラインドタッチもできない自分」という惨めさを受け入れ、

そこから這い上がった古田さんの姿は、キャリア形成に正解のない時代を生きる私たちにとって、何よりの道標になるはずです。

武器は、「足」から「言葉」へ。

フィールドを変え、武器を変え、それでもなお「誰かの心を震わせる」という本質を突き詰める彼の挑戦は、これからも多くの若者の人生を動かしていくことでしょう。

(取材・文:ユースキャリア編集部)

動画版はこちら! https://youtu.be/JatLFywbD_k