こんにちは。
ユースキャリアジャーナル 編集長の高瀬信軌です。
Specialistは、前身の時代から数えると、今年で設立7年。
僕は2015年の12月に代表理事の宇野さんと出会い、当時任意団体として活動していた「The Creative Tokyo」(現在のSpecialist)に2016年2月から所属することになりました。
その頃の仲間で6年来の仲である、「しばちゃん」(大柴賢和)と先日飲みに行っていました。
彼は会社を設立し、今は社長をやっています。
片や僕も法人設立の準備中で、せこせこと契約を巻いたり決め事を決めていたりしています。
そんな僕達の、ちょっとした昔話を。
The Creative Tokyoに入るキッカケ。
当時はあるイベントで、たまたま宇野さんが登壇していた会に参加していました。
宇野さんと出会ったのはその日ですが、実は同じ日に出会ったのがしばちゃんです。
彼は同じく、参加者として会場にいて、
当時から良く喋る宇野さんのトークを笑いながら聞いていました。
彼は当時、僕と同じ大学3年生・21歳。
僕と同じ、北海道出身で、理系の大学に通っていました。
経験や性格は勿論違いますが、何よりも共通していたこと。それは・・・
「2人とも、ショボかった。」
僕は基本メンヘラで、出来ないことまみれですぐに自信を無くすし、無理だーーってなって発作的に全て辞めようとしたり、そういう人間でした。
(今、似たような悩みを抱えている人も多いかもしれません)
しばちゃんもそうで、継続力が全然無く行動が衝動的だったり、論理的思考力が弱くて訳わからないことをやっちゃったり、そんなタイプでした。
2人とも、沢山の先輩達に迷惑を掛けて、
何度も励ましてもらったのに次会ったときにはまたダメになっていたり、
そういう何も出来ない、白状でしょうもない21歳でした。
当時、起業したり独立することに興味があっても、勿論全然出来るイメージも湧かないくらいで、
自分自身でも口では言いつつも本当に出来る気はしていなくて、
僕は「頑張りたい人をサポートしたい」というある種の隠れ蓑に隠れ、自分のプレイヤーとしての評価から必死に隠れ、本当にレベルの低い人間だったと思います。
しばちゃんはしばちゃんで、その後The Creative Tokyoを1年で辞めてしまい、突然アメリカに飛び立ってしまいました。きっと経営は諦めたんだろうな、という気持ちで見ていました。
それでも、当時宇野さんは僕達に、「悩みがあったらお互いで話すと良い」と言っていました。
発作的に全てやめようとしていたときには、「今すぐしばちゃんに会いに行け!!」と半ば(というか完全に)パワハラな勢いでぶち込まれていました。
当時はいつも悩みをあまり人には言わず隠してしまう僕でしたが、パワハラに屈してしばちゃんに素直に伝えにいくと、
「悩みを言ってくれて嬉しい。正直に話してくれて良かった。」
と言ってくれました。
彼の良さは、感情に素直なところ。
僕が昔から尊敬しているところです。
そんな気持ちを、面と向かって話してくれました。
その後、僕にとってしばちゃんは、気持ちを伝えられる人になりました。
The Creative TokyoからSpecialistという名前に変わった2016年の10月頃、
運営として活動していた僕らは実力不足過ぎて、多くの大学1・2年生の悩みに応えることができず、
悔しくて何度も大泣きながら同じ電車で帰っていました。
しばちゃんは当時エンジニアになろうと、お金も無いのによくわからないスクールに大金をはたいて、
お金が足りず僕に10万円を借りてきたこともありました。
が、お金があまり無いのは僕も一緒で、当時は貯金が15万円しか無かったので普通は迷うと思うのですが、彼なら良いやと二つ返事で貸しました。
強みは簡単に見せれるし、アピールしたくなるもの。
一方、お互いの弱みを見せれる仲は、とてもとても限られている。
僕にとって、そして彼にとって、お互いにそういう存在だったんだと思います。
あれから、6年。
2022年になりました。
21歳だった僕達は27歳になり、
お互いに全く違う人生を歩み、生きてきました。
あなたにとって27歳は、遥か未来に感じるかもしれません。
それはあなたと同じく、僕も21歳の頃に感じていました。
確実に来る未来です。
僕はその後、フリーランスになり、その案件の1つだったYouTuber事務所に2018年に誘われ黎明期のメンバーになり、社員3人だった状態から急成長し、今年創業5年で上場を迎えました。
しばちゃんは、2年間アメリカに行ったあと日本に帰国し、エンジニアとして活躍し、2021年に自分の会社を作り独立しました。
僕はいま、自分の会社を作る準備をしています。
個人事業主としてはずっと活動しているものの、法人を作るのは実は初めてです。
今日の飲み会で、しばちゃんにそのことを伝えると・・・
「身近で独立する仲間ができて、本当に嬉しい」
と言ってくれました。
彼の良さは今も変わらず、感情に素直なところ。
6年経ってお互いのステージは全く変わっても、6年経とうと変わらない良い人間性がある。
この6年間で、一緒に活動したのは2016〜2017年のたった1年間。
僕達が一番ショボかった、あの頃だけ。
それ以外の時期は、全く会わなかった時期だってある。
そんな彼が今日提案してくれたことは、
「一緒に何かプロジェクトをやりたい」
ショボかった6年前では決して出来なかったことが、今だったら少しは出来るかもしれない。
そんな気持ちでいっぱいになった、夏の夜の、熱い会でした。
21歳。
それは、僕にとっては凄く特別な歳。
一般的には、「フリーランスになった時だね」とか「上場したら見える景色が変わるでしょ」と言われることもあるけれど、僕にとっては全然違います。
今振り返れば、当時は気づかなかったけど、分岐点は21歳のあの時期にあります。
今回はしばちゃんだけを取り上げましたが、当時の多くのメンバーや諸先輩方とそれぞれ思い出があります。
そしてそれは、ショボかったあの頃だったからこそ手に入れることのできた、もう二度と得ることの出来ない、とても言語化の難しいこの感覚なんだと思います。
「大学生のうち」にしか出来ないことってあまり無くて、起業も世界一周も思いっきり遊ぶことも、正直いつだってできます(27歳の自分が言うのでガチです)
けれど、「ショボいうち」にしか出来ないことは、結構あります。
今まさに、自分がショボかったり、自分のショボさから逃げようとしている人は、きっと大勢いると思います。ユースキャリアに限らず、各々の持ち場できっと起きているでしょう。
そして、自分を正当化するわけではないですが、それはしょうがないことだとも思います。
でも、そんな仲間と6年後、何か一緒にやる日が来たら、とても良いと思いませんか?
ショボいときに、わけがわからなくても、何が正しいかもわからない時期に必死になって動いて、悩み苦しみ合った仲間は、いつかかけがえの無い関係性になります。
いま近くにいる同期や先輩・後輩を信じ、大切にして欲しいです。
いつかあなたが本当に困った時、助けてくれるのは彼らです。
いつか彼らが本当に困っている時、あなたは助けたいと心から思えるようになります。
僕達、少なくとも僕は、そういう関係性をあなたがショボいうちにこそ作って欲しいと願っています。
そしてそうなるよう、できる最大限のサポートをしたいと考えています。
どんな知識よりも、どんなサービスのベネフィットよりも、
この価値が一番高いと信じています。