・株式会社Barbarian/代表取締役
・一般社団法人ユースキャリア教育機構理事
1998年生まれ。
①極貧だから、生活費を奨学金や給付金、事業ですべて自分で工面していた。
②マイナスからスタートし、学生のうちから起業を目指して努力し続け、上場企業へ幹部候補で就職。
③2年で会社を辞めて、社会起業家へ!
今では東京都や教育委員会と連携!

最もマイナスなところからスタートして、今起業家として活躍している樋口さんに「起業したいけど、何をしたらいいか悩んでいる学生」のためになるお話を伺います。
水商売でもしてお金を稼ぎなさいと母親に言われた中学時代
Q.今でこそ起業して、様々な事業を手掛ける樋口さんですが、高校時代から起業したいと思っていたんですか?
正直全く起業したいと考えたことはありませんでした。
私の家は、シングルマザーで、凄く貧しかったんですね。
だからお母さんからは県内一番の進学校に行けないようであれば、水商売でもしてお金を稼いで来なさいと言われてました。
どうしても高校行きたかったので、死ぬ気で勉強して、体重が15キロ1年で落ちるくらい勉強しました。
そのおかげもあって、岐阜県で一番の進学校に入学しましたが、正直勉強についていくのも大変でそんなこと考える余裕はありませんでした。
ただこの田舎を出て、都会に行ってチャンスを掴みたいとは日々の貧しさから思ってましたね。

学費と経費が最も安い 東京都立大学に入学

Q.壮絶な体験ですね…
大学選びや受験勉強はどのように行ったんですか?
正直受験勉強よりも、奨学金や給付金、生活コストを抑えるための調査に高校3年生の後半は時間を使っていました。笑
経費を抑えつつ、東京に進学してチャンスが掴める大学はどこだろうと…
そして見つけたのが、諸々の経費や奨学金の関係を考えると、とにかく安いのが「東京都立大学」だったんです。
学部は経済系でしたが、理由は貧乏を脱したかったからですね。起業したかったわけではないです。
ただ何か岐阜県にとどまっていても変わらないだろうということは漠然と分かっていました。

大学入学直後に起業サークルへ所属→シリコンバレーへ渡米
Q.大学を機会に上京し、最初にどんなことをしましたか?
これまでと被っちゃうんですけど、何か東京で貧乏を脱するチャンスを探していましたね。
そんななか東大起業サークルを見つけて入りました。ここで初めて起業という選択肢を知りました。
高学歴でエリートな人が多く、経済的にも恵まれてる人が多かったので、みんなで起業の聖地シリコンバレーに行って、ピッチしてこようとなりました。
※ピッチ:投資家の前で投資をして貰うためのプレゼンや交渉を行うこと。
もちろん私はお金がないので、ここの工面はめちゃくちゃ大変でした。
7日間ひたすら色々な投資家にピッチしましたが、英語も喋れないし、ビジネスプランもないのでボコボコにされました。
正直、めちゃくちゃ自信なくなりました。。。
でも起業している人たちは、裕福だし、何より楽しそうに仕事をしていたので、自信はなくなったけど、起業家になりたいなと思うきっかけになりました。

起業したいけど、何をしたらいいのか全くわからなかった。

Q.これは具体的にはどういう悩みだったんでしょうか?
正直周りには起業サークルに居るだけで、満足してる人や、それを就活のエピソードトークにしようくらいに思ってる人が多かったんです。
だから起業サークルだけじゃだめだと思って、シリコンバレーまで行ったけどあのざまで、、、
本で勉強をしても、全然何もビジネスの始め方がわからない…
知ってる人に聞きに行こうと思って、起業している人や凄い人たちにたくさん会いに行きましたが、具体的に何をしたらいいかわからないままだったんです。
周りからは意識高いねとか頑張ってるねと言われてましたが、迷走してました。
やれることをすべてやった上で、どうしようと…
それこそ母の助言通り水商売とかをやるのかまで思い悩んでいた時に、
起業した友達からユースキャリア教育機構を紹介されてここしかないと思いました。
ですが、入会の際に、審査があるとわかって、何度も志望動機書を書き直しました。
正直奨学金の申請とかやってたので、この手の書類には正直慣れてましたが、ここで落とされたら本気で人生終わると思って1万文字くらい書きました。
その結果、無事審査結果は合格を頂き、やっとの想いで入会することができました…

友達に誘われユースキャリア教育機構に所属し、ようやく動き始めた。
Q.ユースキャリア教育機構に入ってから、何をしたらいいかわからないという悩みは消えたんですか?
ユースキャリア教育機構は、最初からある程度ロードマップを個別に引いてくれるので迷うことはありませんでした。
そのロードマップの最初に経営に関する基礎的な知識を40項目徹底的に詰め込むことをみんな1週間でやります。
これで今まで会ってきた凄い人たちが言っていた言葉が理解できるようになりました。
まず1週間で経営者と話せるようになりました。
同じく起業を目指す仲間ができたのは、シンプルに嬉しかったです。正直周りの大学生のやる気のなさに温度感はかなり感じていましたから。
Q.そこからはすぐに起業することができたんですか?
正直売上も10-20万くらいは自力で作れるようになったんですが、なかなかそれ以上にならず、同期がどんどん学生起業していく中、私は彼らの事務員をやるようになっていって、少し諦め始めていました。

Q.樋口さんにも向いていないと思うことや、壁に当たるという経験はあるんですね…
正直、私も含め多くのメンバーはこの壁にどうしてもぶつかってました。
全員簡単に起業できる世の中だったら良いんですが、現実わかったからといって、それができるようになるには部活や勉強と一緒で練習が必要なんですよね。
そこを日々しっかり積み重ねた同期と、それに耐えれず努力をたまに怠ってしまう私に差が開いていったんだと思います。
ただ、私は運が良いなと思ったことが1つあります。

学生起業し成功した仲間から
毎日煽られることで火が付いた。
同期に恵まれたことが私の最もラッキーなことでした。
この頃、私は向いていないと思い就活をして、上場企業から内定をもらいました。
幹部候補として今後経営企画に携わらせて貰えると聞きそれに期待を膨らませていました。
そんな時に同期から
それで人生満足なのか?
お前はもう諦めたの?
と毎日煽りの連絡が来ました。
正直めちゃくちゃウザかったです。
でも、これを毎日言われなければ私は確かに腐っていたと思います。
諦めて普通に就職して、それなりの給料に満足していたと思います。
だから、同期に就職はするけど、絶対すぐ辞めて起業してやる!!と宣言だけはしました。
なんか言い返さないと悔しかったんで。
こういう同期ができる環境に身を置いたのは、本当に良かったです。
なかなか一人で勉強や活動頑張って、起業できる人って居ないと思うんです。

社会人2年目で会社を辞めて起業!起業に至った最大の要因とは?
Q.同期の存在も大きかったとは思いますが、他に起業に至った理由はなんだと思いますか?
19歳から5-6年に渡って、このユースキャリア教育機構の先輩たちが支えてくれて、アドバイスしてくれたのが大きいです。
長いこと居ると、私の癖とか強み弱みとかって先輩たちの方が把握してるんですよ。
それを踏まえて、こんな事業をやったらどうか?こんな考え方で動いたらどうか?と方向性を整えてくださったり、
チャンスをたくさん頂けたのが起業できた最大の要因だと思います。
部活や受験と一緒で、やっぱり自分を長期的に支えてくれる指導者や先輩の存在が居ないと何事でも成長できないと思うんです。
単発の起業イベントや凄い人に会うことも大事ですけど、環境を選び、所属することの方がもっと大事だと私は思います。

世の中の当たり前を更新する!社会起業家へ!
Q.これだけ苦しい子ども時代からスタートし、大学、社会人でも苦悩を重ねてきた樋口さんは今どんな想いで会社をやられているんですか?
私は本当に大変な田舎から、なんとか努力して、良い高校入って、お金のことも自分で工面して大学入って、それで努力しても起業はやっぱり難しかったんです。
そういう経験があるから、
どんな地域に生まれても、
どんな親のもとであっても、
どんな年代に生まれても、
その子が今持ってる当たり前を更新して、
夢を広く持ち、それを追い続けられる
そんな世界を作りたいと思っています!

Q.現在はどのような事業をやられているんですか?
現在は教育の事業を行っています。
主に中学生、高校生向けの探求の授業。
また、大学生へのアントレプレナーシップ教育に関する事業です。

すでに売上を上げて、自分のお小遣いをビジネスで成り立たせている中学生たちも居ます。
当時の私よりも能力があって、親や家族のことも考え、自分に掛かるコストを自分で稼ぐ。そして自由な発想で好きなだけ活動する。
彼らはまさに起業家の卵です。
こういう子達と接していると、とてもワクワクします。

こういったポテンシャルある学生たちも東京にはたくさんいますし、岐阜県に戻れば昔の私やそれ以上に恵まれない子どもたちも居ます。
そういった課題を解決するために東京都や教育委員会、岐阜県など行政とも一緒に取り組んで事業運営を行っています。

まとめ

1.貧しいところからでも起業し、成功することができる!
2.困難が生まれ、壁にあたっても仲間や環境があれば、諦めないので、絶対に起業することができる。
樋口さんからのメッセージ
「世の中の当たり前を更新する」
私は、「当たり前って何だろう?」と、岐阜の片田舎でずっと考えてきました。
そもそも、岐阜県でシングルマザーの家庭で育った私は、東京に出てくるまで「コンサルティング」という職業をそもそも知らなかったんです(なぜなら周りにいないから。だから人のためになる=教師?ぐらいしか選択肢がなかった)
これは一例ですが、それだけスタートの段階で既に大きな差があるし、これは年々広がっています。
子供達のやりたいことや夢は基本的に、子供達の経験や、誰と触れ合ってきたか、何を見てきたかに基づいています。
どんな地域に生まれても、どんな親のもとであっても、どんな年代に生まれても、その子が今持ってる当たり前を更新して、夢を広く持ち、それを追い続けられるそんな世界を作りたいと思っています。
もし、同じようなことを考えている方がいたら、遠いとわかっていても追いたいこの夢に向かって、一緒に叶えにいきませんか?

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